ここではヒグマの繁殖について概説します。繁殖のイベントはメス側から見ると①交尾、②妊娠、③出産の過程に分けられます。
ヒグマの交尾期①は5-7月であり、オス・メスがそれぞれ複数の個体と交尾を行います(乱婚制)。ヒグマの排卵様式の特徴として、交尾排卵という排卵メカニズムを持っています (図1)。交尾排卵は、ネコやウサギで知られ、一部オスの匂い刺激などを含む交尾刺激によって排卵が起こります。一方、他の排卵様式として、ウシやヒトなどでは交尾とは無関係に排卵が起きる自然排卵が知られています。ヒグマは、通常は単独生活で交尾相手と常に一緒にいないことから、不定期な交尾のタイミングに着実に排卵するため交尾刺激によって排卵を行っていると考えられます。その後、妊娠期②を経て、1月から2月の冬眠中に出産③を行います。子供の目は開いておらず、体毛もあまり生えていない未発達な状態で生まれ、母グマは冬眠穴の中で泌乳して子を育てます。
図1. 哺乳類の排卵方式
ヒグマの妊娠期間は見かけ上、交尾(5月~6月)から出産(1~2月)まで約6か月間とみえますが、実際には、交尾後に受精してできた胚が、子宮内で着床せずに発育を休止していて、12月ごろになると着床します (図2)。このため実際に着床し胎子が発達する真の妊娠期間は2ヶ月間になります。この現象は、母グマの視点からいうと「着床遅延(Delayed implantation)」、胚の視点からいえば「胚の発育休止(Embryonic diapause)」と呼ばれます。ウシの胚を保存する際には、液体窒素により超低温下でしか保存できないことを考えると、普通の体温で4ヶ月間も胚が保存され、その後正常に妊娠が進んでいくことは非常に興味深い現象です。この子宮内で胚の発育が休止するメカニズムはほとんど明らかになっていません。
図2. メスヒグマの排卵時期
ヒグマのメスでは、どうして着床遅延が起きるのでしょうか?1つは、交尾を行うタイミングを分娩のタイミングとは別に調整できることがメリットかもしれません。単独性のヒグマは、交尾期にはパートナーを探し大きく移動する必要があり、餌を十分食べるのは難しいと考えられます。このため、食いだめに忙しい冬眠前の脂肪蓄積の時期に交尾を行うことは生存戦略としては不適当で、着床遅延によって交尾期を早い時期に調整しているのかもしれません。また、着床遅延によりすぐに妊娠しないことはクマの乱婚制の繁殖様式においても重要かもしれません。胚が着床しないことで、卵胞の発育が抑制されないので次の発情がおき、別のパートナーとも交尾を行うことが可能です。このため同時に出産したにも関わらず父親が異なる現象、異父同腹子(Multiple paternity)が起きます。オスヒグマは自分の子を残すために、メスの発情をうながすために親子連れの子供を殺す子殺しが知られており(Steyart et al. 2012)、メスからすると複数のオスと交尾を行うことで、子の父親を分からなくし、子殺しを防ごうとしている可能性が考えられます。
着床遅延により妊娠までの期間を遅らせることは、母グマが妊娠に割くエネルギーの観点から重要かもしれません。冬眠前の秋にドングリの凶作などで十分な脂肪を蓄えられないとメスは翌年に子を産む割合が減少することが知られています (Steyart et al. 2012)。繁殖を行うのに十分な栄養状態になったときにはじめて、妊娠のプロセスを進めるメカニズムを持っているのかもしれません。
それでは着床遅延が終了し、胚が着床するタイミングはどのようなシグナルにより調節されているのでしょうか?その因子として、レプチンという脂肪から分泌されるホルモンが作用している可能性が考えられています。ツキノワグマでは、秋にかけて脂肪量が蓄積するにつれて、レプチン濃度が増加すること、このレプチン受容体が子宮内に発現していることが報告されています (Nakamura et al. 2009)。このため、ヒグマでは、冬眠前に脂肪の蓄積が起きるとレプチンの分泌量が増え、その刺激を子宮が受け着床するタイミングを制御している可能性が考えられます。上記のような多くの繁殖学的知見は飼育下のヒグマやツキノワグマで明らかにされており、モニタリングの難しさから野生個体ではほとんど明らかになっていませんでした。しかしながら、体温ロガー(自動記録装置)の発達が野生個体の繁殖モニタリングを可能にしました (Fribe et al. 2014)。妊娠期、母体では妊娠維持に重要なホルモンであるプロジェステロンの濃度が増加し、その働きで体温が非妊娠時に比べて高くなることが知られています (図3)。この体温の変化をロガーでとらえることによって、着床と胚の発育開始時期を推定することができ、スウェーデンの野生ヒグマは平均で12月1日に着床することが分かっています。上記のような多くの繁殖学的知見は飼育下のヒグマやツキノワグマで明らかにされており、モニタリングの難しさから野生個体ではほとんど明らかになっていませんでした。しかしながら、体温ロガーの発達が野生個体の繁殖モニタリングを可能にしました。妊娠期、母体では妊娠維持に重要なホルモンであるプロジェステロンの濃度が増加し、その働きで体温が非妊娠時に比べて高くなることが知られています(図3)。この体温の変化をロガーで捉えることによって、妊娠時期を調べることができ、スウェーデンの野生ヒグマは平均12月1日に着床することが分かっています。
図3. 体温による野外個体の妊娠モニタリング。妊娠個体の体温上昇を、ロガーによって検出する。縦軸、体温。
(執筆:冨安洵平、監修:坪田敏男)
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