ヒグマは北海道以外にも、北米大陸やユーラシア大陸といった、北半球の広域にわたって分布しています。同じヒグマといえど、地域によってさまざまな色や形をしています。例えば、北海道に近いエトロフ島やクナシリ島では、白い毛色のヒグマが生息することが知られています (Sato et al. 2011, 佐藤ら 2018)。
では、こうしたヒグマ種内での多様性は、どのように生じたのでしょうか。
近年、様々な生物の遺伝情報であるDNAを解読することによって、その生物がいつ、どのように他の種や集団から分かれ、個体数を変動させたのか、という「生物の歴史」を明らかにする研究がたくさん行われています。
特に最近では、一度に大量のDNA配列を解読することができる「次世代シーケンサー」の登場によって、生物の全ての遺伝情報である「ゲノム」を解析することで、生物の歴史を明らかにする試みがなされています。
ヒグマでは、細胞内に存在するミトコンドリアのDNAを調べた研究から、様々な時期に別れた複数の系統が、各地に散らばって分布していることが分かっています (図1; Davison et al. 2011, Hirata et al. 2013, Lan et al. 2017)。
地球は数万年から数十万年の周期で、寒い時期と暖かい時期を繰り返していますが、寒い時期になると、海水面が下がり、今では海になっている場所も陸続きになることがあります。有名な例だと、北海道の最北端に位置する宗谷海峡は、約1万2000年前まで、大陸と陸続きになっていたと推定されています (大嶋 1990)。
ヒグマの長い歴史の中で、陸続きの期間に北半球の広い範囲に分布を広げたり、逆に他の集団から孤立したりを繰り返したことで、現在のような分布パターンが形成されたと考えられています。
図1. 上図はヒグマのミトコンドリアDNA系統の地理的な分布。茶色部分はヒグマの生息地 (McLellan et al. 2017)を表す。下図はヒグマのミトコンドリアDNAの系統関係 (進化の道筋のこと)。 系統の枝分かれが図の右側であるほど、その系統同士が近縁であることを意味する。上図はDavison et al. (2011)を、下図はHirata et al. (2013)およびLan et al. (2017)を参考に作成した。また北海道については、図2に示す。
一方で、細胞内に存在する核のDNAを調べると、ミトコンドリアDNA系統の分布パターンが見られないことが分かっています (Hailer et al. 2012, Bidon et al. 2014)。ユーラシア大陸のヒグマを対象にゲノムを解析した研究では (de Jong et al. 2023)、ミトコンドリアDNA系統の種類によらず、核のゲノムでは、地理的に近い集団ほど近縁であることが示されました。この結果から、ミトコンドリアDNAで推定されたような過去の歴史の痕跡は、核ゲノム上ではほとんど残っていないのだろうと推定されています。一方で、他の地域から孤立している地域のヒグマを対象にゲノムを調べてみると、核のゲノムでも、他の地域のヒグマとの違いが明確に確認されました (Tumendemberel et al. 2023)。そのため、他の集団から孤立した地域では、核ゲノム上にも違いが残っていると考えられます。この点については、現在も研究が続いている状態です。
それでは、私たちにとって最も身近な北海道のヒグマでは、どのようなことが分かっているのでしょうか?
北海道では大陸の系統と別れた時期の異なる3つのミトコンドリアDNA系統が確認されています。これら3つの系統は、現在北海道の中で、異なる地域に別れて分布することが分かっています (図2左下; Matsuhashi et al. 1999)。
一方で、Y染色体を調べてみると、こうした分布のパターンは確認されません (図2右下; Hirata et al. 2017)。なぜ異なるDNA配列を調べると、異なる結果が得られるのでしょうか?
いくつかの理由が考えられますが、現時点でもっともらしいと考えられている2つの理由として、DNA配列間の遺伝様式の違いと、ヒグマの生態である「オスに偏った分散」があげられます。まず、調べられている2つのDNA領域である、ミトコンドリアDNAとY染色体は、それぞれ母親のみ、父親のみから遺伝するという性質があります (図2上部)。そのため、ミトコンドリアDNAの遺伝構造はメスの生態を反映し、Y染色体の遺伝構造はオスの生態を反映しています。
またヒグマには、メスは大人になっても生まれた土地にとどまって繁殖をする一方で、オスは出生地を離れて繁殖をするという、「オスに偏った分散」という生態が知られています。この2つの理由により、ミトコンドリアDNAでは地理的に近い場所で同じようなDNA配列が観察され、Y染色体ではその傾向が当てはまらないようになったのではないか、と考えられています。
ちなみに、先ほど述べた「ミトコンドリアDNA系統の種類によらず、核のゲノムでは、地理的に近い集団ほど近縁である」という結果は、北海道のヒグマでも確認されていますが (Endo et al. 2021)、異なる地域の間でわずかに違いが残っているようです。その違いの全容や、違いが生じた原因の解明には、今後も更なる研究が求められます。
なお、ヒグマは現在本州には生息していませんが、化石記録から、およそ17,000年前までは生息していたことがわかっています (高桒ら 2007)。群馬県で発掘された32,500年前の化石のミトコンドリアDNA配列を調べたところ、現在北海道の南側に分布するClade 4と近縁であることが判明しました (Segawa et al. 2021)。技術の発展により、昔の個体のDNA配列も解読されるようになったことで、知られざる日本のヒグマの歴史が明らかになるかもしれません。
図2. 北海道のヒグマの遺伝的特徴。図の上部は、それぞれのDNA配列が母親と父親どちらから遺伝するかを示している。左側下の地図はミトコンドリアDNAの系統の分布を示しており、右下の地図はY染色体のハプロタイプ (配列の種類のこと)の分布を示している。2つの分布図はそれぞれMatsuhashi et al. (1999)およびHirata et al. (2017)をもとに作成した。
クマの仲間 (クマ科) は、現存するものだとヒグマを含めて8種知られています。これらの種の系統関係を、ミトコンドリアDNA配列および核DNA配列に基づいて推定したものを図3に示します。この図から、ミトコンドリアDNAと核DNAでは、クマ科の種の系統関係が異なることが分かります。
異なるDNA配列に基づくと異なる系統関係が推定される現象は、クマに限らず多くの生物で知られています。この系統関係の不一致が生じる原因はいくつかあるのですが、その一つに、種として別れた後の他種との交雑(別の動物種と繁殖をすること)があげられます。
図3. クマ科種間の関係性。図の上部は、クマ科7種の系統関係を表しており、左はミトコンドリアDNA配列、右は核DNA配列の違いに基づいている。2つの図はKumar et al. (2017)をもとに作成した。これにパンダを加えた8種が、現存するクマ科の種全てである。図の下部は、ヒグマとホッキョクグマの系統関係の不一致に対する3つの説を表している。矢印は、交雑によってある種に別の種由来の遺伝子が入ったことを示している。
ホッキョクグマとヒグマは、この交雑による系統関係の不一致の例として、特に活発に研究されています。ミトコンドリアDNAに基づく系統関係では、ホッキョクグマはヒグマの一系統に含まれますが (図1; Sandra et al. 1995)、核DNAでは2種は明確に別れます (図3; Hailer et al. 2012, Miller et al. 2012)。この理由として、大きく3つの説が提唱されています。
まず1つ目の説として、ホッキョクグマとヒグマが種として別れた後に交雑したことで、ホッキョクグマのミトコンドリアDNAがヒグマのものに置き換えられてしまった (図3下部1; Hailer et al. 2012) というものです。この説をもとに、ホッキョクグマには過去のヒグマとの交雑の痕跡が残る一方、ヒグマには残っていないという説が主張されており、ゲノム解析の結果から、その説を支持する研究もあります (Miller et al. 2012; Lan et al. 2022)。
一方で逆の説、つまり、現存するホッキョクグマにはヒグマとの交雑の痕跡が残らない一方、ヒグマにはホッキョクグマとの交雑が残る (図3下部2) という説も多くの研究で主張されています (e.g., Cahill et al. 2013, Liu et al. 2014, Wang et al. 2022)。また3つ目の説として、種として別れたのは最近である、という説も提唱されています (図3下部3; Nakagome et al. 2013)。
このように、ホッキョクグマとヒグマの関係については、現在でも統一的な見解がないほど非常に複雑であり、今現在でも、野生下で交雑することが確認されているほど (Pongracz et al. 2017)、両種は非常に近しい関係にあるといえます。
近年は、数万年から数十万年前に生きていた個体の骨などから、ゲノムを解読する技術が確立し、古代と現代のクマを比較した研究も報告されるようになりました (Lan et al. 2022; Wang et al. 2022)。また、膨大なゲノムの中から、どの遺伝子がホッキョクグマとヒグマの違いに関連するのかを推定する研究も増えています (e.g., Rinker et al. 2019)。こうした研究の発展により、複雑なヒグマと近縁種の関係が明らかにされる日も近いかもしれません。
(執筆:遠藤優、監修:白根ゆり)
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